とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

CO2発生を1/10に抑える化石燃料の利用法について

http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-69.html においては、エネルギー保存則があるにも関わらずエネルギー消費が起こってしまう理由を書いた。

その理由とは、燃焼の場合、化学エネルギーという質の高いエネルギーから熱エネルギーという質の低いエネルギーに変わったから「エネルギー消費」という概念が生じると説明した。そこで起こっていることは、エクセルギー(有効に仕事に変換できる部分)の損失である。

したがって、エクセルギー損失を出来るだけ低減する必要がある。エクセルギー・パワー・システムズ社https://www.ut-ec.co.jp/portfolio/exergy はこれを実現させるために設立された。

日本のエネルギーフローを見ると、エネルギーうち有効に使われているのは34%程度に過ぎず、残りの2/3は無駄に捨てられている。

燃料(化学エネルギー)はエクセルギー率が0.9~1.0と高く、これをエクセルギー率が低い熱エネルギーに変換する過程でエクセルギー損失が発生する。

本日はまず、堤敦司氏の提言する、物質生産におけるエクセルギー低減について述べる。

すべての化学プロセスは、吸熱反応と発熱反応の組み合わせである。

工業プロセスは通常、吸熱反応では、加熱炉など燃料を燃焼させることにより原料を加熱している。しかし、我々が気付かねばならないことは、本来ならば数千度以上の熱が取り出せる燃料をたかだか数百度の反応熱を供給するためにただ燃焼させている、ということである。

他方、発熱反応においては、装置コストと安全性を考えて出来る限り低温で行われてきた。多くの人はプロセスの低温化が省エネルギーであると考えているが、それは全くの誤りであり、発熱反応はできる限り高温で行い、発生した熱エネルギーを有効利用するのが正しい考えである。

本来、より高温の熱エネルギーが得られるものを低温でとり出すことにより大きなエクセルギー損失が発生するのである。

したがって、発熱反応は出来る限り高温で行い、取り出した熱を吸熱反応に供給し反応を進行させることによってエクセルギー損失を大幅に低減することが出来る。

工業プロセスには以上の考えを適用する事で大幅なエネルギー効率改善が可能になると考えられる。

次にエネルギー変換(発電)であるが、堤敦司氏はエネルギー再生による高効率発電を提言している。

堤敦司氏の提言する発電は、化石燃料による発電であるが、燃焼過程において低レベルの排熱をプロセスの上流へと循環させ、高エクセルギー率のエネルギーと混合し、これで発電する方法である。

このようなエネルギー再生の具体的方法は、以下のようなものがある。

(1)熱化学再生
 排熱を吸熱反応により化学エクセルギーに変換してリサイクルする

(2)熱再生
 排熱を熱交換して空気あるいは燃料の余熱に利用する。再生器付きタービンとしてすでに実用化がされている。

(3)スチーム再生あるいはCO2再生
 スチームおよびCO2は燃焼生成物であり、これを循環させることによって平衡をずらし燃焼におけるエクセルギー損失を低下させる

以上で説明したように、化石燃料による発電は、エネルギー再生によって、エクセルギー損失を大幅に低減することが出来る、と堤敦司氏は主張している。

こうした方法を採用することにより、CO2排出は1/10に減る、と考えられる。

なお、今回は文章で表現しているが、図にした方が分かりやすいかも知れないので、今後は図を示して解説することも検討したい。

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人間は欠陥生物なのか?

生物学では人類は霊長類として生物進化の最先端にある存在とされる。

霊長とは「霊妙な力を備えていて、他の中で最もすぐれているもの」を意味する。

英語において霊長類を意味する単語は「Primates」であり、その語源primeは「最高位」を意味する。

要するに我々人類は地球で最高の存在とされるのである。

しかし、その地球で最高の存在であるはずの人類は、古来より戦争つまり集団同士の殺し合いに明け暮れて来たのである。

そして、20世紀になると核兵器という人類を全滅出来る兵器を手にし、さらに21世紀になると地球温暖化という地球を壊滅させる現象を引き起こしつつのである。

これが、地球で最高の存在なのだあろうか?

人類以外の動物で、地球を壊滅させるような動物はいない。この点において、人類は他の動物より劣っている(狂っているとも表現出来る)と捉えることが出来るのではないだろうか。

人類は知的である。しかし、その知性は狂気を帯びている。

エックハルト・トールが言うには、ほとんどの人間の「ふつうの」精神状態には機能不全、もっと言えば狂気と呼べるような強力な要素が含まれている。

そして、科学技術は人類の精神につきまとう機能不全が地球に、他の生命体に、そして人類自身に及ぼす破壊的影響をさらに拡大してきた。だからその機能不全、集団的狂気は二十世紀の歴史で最もあらわになった。

この機能不全をエックハルト・トールは「エゴ」という言葉で表している。

人間はふつうの精神状態においてはエゴに支配されている。これは疑いのないことである。

しかし、僕が理解出来ないことは、なぜ神は人間にエゴを植え付けたのだろうか?ということである。神は何でも出来るのであるから、人類を機能不全の状態にしなくても良かったのではないか?なぜ神は人類をこのように矛盾した存在に作り上げたのだろうか?

他方、エックハルト・トールは人間の意識の根源的変化の可能性もある、と書いている。彼によれば、人類にとって最大の成果は芸術作品でも科学でも技術でもなく、「自らの機能不全」「狂気」を認識したことであるという。

この人類の機能不全を最初に見抜いたのは恐らくはブッダ(釈迦)と老子であった。彼らは「ふつうの人間存在」という集団的な悪夢から目覚めることができるのだよ」と指摘した。

この人たちは目覚めには必要不可欠だったが、世界の側の準備はまだできていなかった。だから彼らは同時代人に、そして後世の人々にも誤解された。彼らの教えは歪められ、間違って解釈され、場合によっては弟子たちに間違って記録された。

そうして結局、人類の機能不全を見抜いた人達の教えは歪められ、それ自身が狂気の一部となった。

しかし、エックハルト・トールによれば、既成宗教の外側で盛り上がってきたスピリチュアルな教えの影響に加え、古い東洋の知恵が流れ込んだ事も大きな力となって、伝統的な宗教の信者にも形や教義、硬直した信念体系へのこだわりを捨て、スピリチュアルな伝統に隠されていた深さや自分自身の深さを発見する増えてきたそうである。

人類はいま、進化するか死滅するかという重大な選択を迫られている。そして古いエゴの思考パターンの崩壊と新たな次元の意識の芽生えを体験している人々はまだ比較的少数であるものの、その数は急激に増加している、とエックハルト・トールは言う。

問題は「新たな次元の意識の芽生えを体験している人々」がこれからどの程度増えるか、そしてその人々が文明にどのような影響を及ぼすかである。

もし、エゴを克服し、新たな次元の意識の芽生えを体験する人は飛躍的に増えると、地球環境の危機は何とか回避されるのかもしれない。僕としては、その可能性に期待するしかない。

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エネルギー消費を1/10にする技術の概要

http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-11.html の日記において、僕は「エネルギー消費を1/10にする技術」を紹介した。

その後、この技術がどういう理論に基づくものか、色々資料を読んできたのだが、今に至るまでその理論的基礎は完全には分かっていない。

そこで、本日はメモとしてこの技術が概ねどういうものかを書くことにする。

まず、この世には「エネルギー保存則」というものがある。これの意味するところは、エネルギーは使っても使っても絶対に減らないことを意味する。

他方、「エネルギー消費」という概念がある。これはエネルギーは使えばその分減るということを意味する。

上記の2つの概念(「エネルギー保存則」と「エネルギー消費」)は矛盾するように見える。

なぜ矛盾するかは、例えば発電の場合通常、化学エネルギーを燃焼させて熱エネルギーに変換して仕事を取り出しているが、その過程でエクセルギー(有効に仕事に変換できる部分)が低くなるからである。

つまり、燃焼の前後でエネルギーは保存されているが、化学エネルギーという質の高いエネルギーから熱エネルギーという質の低いエネルギーに変わったから「エネルギー消費」という概念が生じるのである。

そこで東京大学の堤敦司氏は「超燃焼技術」というエネルギー利用法を提案している。「燃焼」というエクセルギー損失の大きな過程を避ける、あるいは燃焼させてもエクセルギー損失が出来るだけ起こらない技術を用いることにより、エネルギーを有効利用しようというのである。

http://www.energy.iis.u-tokyo.ac.jp/tsutsumi/20100510.pdf に具体的な超燃焼技術の分類がある。

それによると、超燃焼技術大まかに「燃料を消費せずに熱を得る方法」「燃料を用いつつもエクセルギー損失を低減する方法」の2種類に分けられる。

まず、「燃料を消費せずに熱を得る方法」であるが、それには(1) 余剰熱源、未利用熱の利用 (2) 自己熱を再生し利用 (3) 発熱反応の反応熱を利用 がある。

(1) 「余剰熱源、未利用熱の利用」 は具体的にはヒートポンプ、(2) 「自己熱を再生し利用」には自己熱再生、(3) 発熱反応の反応熱を利用にはコプロダクションがある。

次に「燃料を用いつつもエクセルギー損失を低減する方法」には I) 燃焼によらない熱エネルギーへの変換 II) 燃焼におけるエクセルギー損失を低減する方法 がある。これらは、具体的にはI-1) 反応の自由エネルギー変化分を仕事として取り出す I-2) 燃料からよりエクセルギー率の高い化学品を合成 II-1) 反応場の濃度を制御 II-2) 排熱を回収し余熱に利用 II-3) 反応分割により水素リッチガスにして燃焼 II-4) 反応分割によるサイクル反応の利用 がある。

堤敦司氏は東京大学卒業生と共同で「エクセルギー・パワー・システムズ株式会社」というベンチャー企業を立ち上げており、現時点では「ハイブリッド水素電池」と「次世代水素製造システム」を開発、製造している。

エクセルギー・パワー・システムズ社は、今後、燃焼を行わないエネルギー変換技術を開発することを主目的としている。

今後は、堤敦司氏とエクセルギー・パワー・システムズ社についての情報を収集し、分かりやすく解説して行きたい。

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真に実在するのは何であるか

デカルトは方法論的懐疑によってあらゆるものを疑い、この世界すら仮想現実ではないかと仮定した。

もちろん、この世界は仮想現実ではなく、本当に存在するものかも知れない。しかし、この世界が本当に存在する世界なのか、仮想現実であるのか、我々に知る手段はない。

デカルトの場合、この世界が仮想現実であったとしても、唯一疑えないものは「疑っている自分がいる」という感覚だった。

しかし、エックハルト・トールによると、「疑っている自分がいる」というのは「第一義的な誤り」である。

エックハルト・トールは「自分が考えていることに気づいたとき、気づいている意識はその思考の一部ではない。別の次元の意識だ」というのが真理であると考える。

エックハルト・トールの説が本当ならば、この世に存在する疑い得ないものは何であるのか?

「自分が考えていることに気づく、その気づいている別の次元の意識」というのが、この世に存在する唯一疑い得ない存在ということになるのだろうか。

あるいは、エックハルト・トールは「この世界が仮想現実かも知れない」という想定は考慮せず、この世界が確実に存在することを前提に思考を進めているのだろうか(その場合、「真に実在するのは何であるか」という問いは生じない。全てが実在するのだから)。

僕個人の経験では、この世界が仮想現実であるか、本当にリアルな世界であるかについては、判断出来ない。どちらの可能性もあるというしか言いようがない。

また、僕個人の経験では「僕自身」が何者であるかは、全く分からない。

ただ、真に実在するのは「神」ではないか、と最近考え始めた。この世界が仮想現実であろうと、この世界が実在しようと、真の世界の根源は「神」と考えるのが最も僕自身の経験上、整合性のとれる考え方である。

エックハルト・トールは真に実在するのものが何であるのかは、明らかに書いていない但し、彼は「大いなる存在」「別の次元の意識」という表現を用いており、それらが神と何らかの関係があることは仄めかされている。

僕はもちろん、現在の世の中においては無神論の方が優勢であることを良く理解している。そして、「この世界は実在し、かつ神など居ない」というのが主流の考え方であることも理解している。

しかし、この世界が実在する場合、その究極の原因は何なのだろうか?物理学者はこの問いに答えるべく、素粒子物理学や宇宙論に取り組んできた。

その中でひとつ感覚的に理解出来ない物理学の分野が開拓されたのである。それが量子力学である。これだけは、普通の人間の感覚では全く理解不可能である。

そして、この量子力学的な考えを用いて我々の意識の正体を解明しようとする科学者が現れた。

こうした、素粒子物理学・宇宙論・量子力学を組み合わせて真に実在するのは何であるかを探究するのが科学的な考え方である。

しかし、僕の予想するに、どこかで神を持ち出さなければこの世の仕組み(例えば、生物の発生)を説明出来ない事態が将来、生じるだろう。

その時、存在の根源としての神の概念に再び戻らざるを得なくなると想像している。

なお、「この世はコンピューターの作り上げた仮想現実である」という見解もある。この場合、真に実在するものは何もなく、全てはコンピューターシミュレーションのようなものだという事になる。

この「コンピューターの作り上げた仮想現実」を取ると、神の概念は不要になるかも知れない。しかし、その場合「コンピューターを造ったのは何者か」という新たな問題が生じ、結局、やはり宇宙の究極的な存在の問題に行き付かざるを得ないと考えられるのである。

僕は幸運にも神を体験する機会を与えられた。このため、有神論から無神論に行き付き、また有神論に戻るという道草を食わずに済むことになった。この幸運に感謝し、「真に存在するのは何であるか」という問題を考え続けて行きたい。

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現在の国際関係が世界平和とは程遠い状態であることについて

目下、北朝鮮が核ミサイル開発を進めている。

この核ミサイル開発は、この先止まる見込みがなさそうに見える。

このまま、アメリカと軍事衝突するところまで突き進むのだろうか?

もし、軍事衝突に至れば、韓国・北朝鮮・日本に多大な犠牲者が出る可能性がある。

軍事衝突により北朝鮮が負けて強制的に韓国との統一がなされるのだろうか?それに中国が同意するのだろうか?

この問題は、根本には東アジアの政治が遅れているという原因がある。

まずは中国という共産党独裁国家があり、北朝鮮は中国の衛星国であると捉えることが出来る。過去におけるソ連と東ヨーロッパの共産主義国家の関係と同様であると考えられる。

東ドイツと西ドイツが統一したのと異なり、北朝鮮と韓国が統一しないのは基本的には東アジアの政治が遅れているからである。

問題は、東アジアの政治はいつまでも遅れたままなのか、という点である。

いつの日か、北朝鮮が民主化し、韓国と統一されるのだろうか?現状を見る限り、そのような明るい未来は見えにくい。

東アジアにおける軍事緊張の大きな原因が中国の共産党独裁である。ここがボトルネックになり、東アジアは政治的に遅れた状態が続いているのである。

したがって、まずは中国の民主化が大きなカギとなる。

中国が民主化するとアメリカと中国の対立は緩和され、アメリカと中国の軍事的緩衝地帯となっている北朝鮮が韓国と統一されやすくなる。また、中国の民主化は北朝鮮の民主化を促進するだろう(ただし、ベラルーシのように東欧でも民主化の進まない国もあるので必ず民主化が進むとは限らないが)。

しかし、現状を見る限り、中国の民主化も北朝鮮の民主化も全く兆しが見られない。

このあたりが東アジアの政治の限界なのだろうか?それとも、今後、何か変化が訪れるのだろうか?

バハイ教の教義では、世界はひとつの国にならなければならない(その前段階として世界が連邦国家にならなければならない、とされる)。

科学技術がこれだけ進歩したのに、政治的に遅れた国家が多いのは何かおかしいのである(先進国の商品のかなりの部分が政治的に遅れた中国で生産されている、というのもおかしいのである)。

インターネットの発展が世界を結び付けるどころか、ネット右翼を量産するのも何かおかしいのである。

この問題(世界の平和的統合)の問題は、人類の夢であり、それに向けて少しずつ国家間の関係を良くしていく義務は、神から与えられた我々の任務なのである。

そのために、第一歩として何をしなければならないのだろうか?

バハイ教では「国際共通補助語の創設」があり、エスペラントや英語の語学教育を推奨しているが、言語的統一だけで世界の平和的統合がなされるとは限らない。

とにかく、世界の平和的統合に向けて、何か根本的に抜けているものがあると僕は考える。

それが何であるか、考えて行きたい。

追記
世界の宗教的統一というのは、ひとつの方法論だと思うが、近代国家では信教は自由で何を信じても良いから、宗教的統一というのは無理である。また、「宗教は違っても共通する神を信じている」というのがバハイ教の考え方であるが、その考えだけで平和になるとは限らない(イスラム教ではユダヤ教・キリスト教と同じ神を信じていると教えられているが、それでも平和はもたらされていない)。

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