とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

真に実在するのは何であるか

デカルトは方法論的懐疑によってあらゆるものを疑い、この世界すら仮想現実ではないかと仮定した。

もちろん、この世界は仮想現実ではなく、本当に存在するものかも知れない。しかし、この世界が本当に存在する世界なのか、仮想現実であるのか、我々に知る手段はない。

デカルトの場合、この世界が仮想現実であったとしても、唯一疑えないものは「疑っている自分がいる」という感覚だった。

しかし、エックハルト・トールによると、「疑っている自分がいる」というのは「第一義的な誤り」である。

エックハルト・トールは「自分が考えていることに気づいたとき、気づいている意識はその思考の一部ではない。別の次元の意識だ」というのが真理であると考える。

エックハルト・トールの説が本当ならば、この世に存在する疑い得ないものは何であるのか?

「自分が考えていることに気づく、その気づいている別の次元の意識」というのが、この世に存在する唯一疑い得ない存在ということになるのだろうか。

あるいは、エックハルト・トールは「この世界が仮想現実かも知れない」という想定は考慮せず、この世界が確実に存在することを前提に思考を進めているのだろうか(その場合、「真に実在するのは何であるか」という問いは生じない。全てが実在するのだから)。

僕個人の経験では、この世界が仮想現実であるか、本当にリアルな世界であるかについては、判断出来ない。どちらの可能性もあるというしか言いようがない。

また、僕個人の経験では「僕自身」が何者であるかは、全く分からない。

ただ、真に実在するのは「神」ではないか、と最近考え始めた。この世界が仮想現実であろうと、この世界が実在しようと、真の世界の根源は「神」と考えるのが最も僕自身の経験上、整合性のとれる考え方である。

エックハルト・トールは真に実在するのものが何であるのかは、明らかに書いていない但し、彼は「大いなる存在」「別の次元の意識」という表現を用いており、それらが神と何らかの関係があることは仄めかされている。

僕はもちろん、現在の世の中においては無神論の方が優勢であることを良く理解している。そして、「この世界は実在し、かつ神など居ない」というのが主流の考え方であることも理解している。

しかし、この世界が実在する場合、その究極の原因は何なのだろうか?物理学者はこの問いに答えるべく、素粒子物理学や宇宙論に取り組んできた。

その中でひとつ感覚的に理解出来ない物理学の分野が開拓されたのである。それが量子力学である。これだけは、普通の人間の感覚では全く理解不可能である。

そして、この量子力学的な考えを用いて我々の意識の正体を解明しようとする科学者が現れた。

こうした、素粒子物理学・宇宙論・量子力学を組み合わせて真に実在するのは何であるかを探究するのが科学的な考え方である。

しかし、僕の予想するに、どこかで神を持ち出さなければこの世の仕組み(例えば、生物の発生)を説明出来ない事態が将来、生じるだろう。

その時、存在の根源としての神の概念に再び戻らざるを得なくなると想像している。

なお、「この世はコンピューターの作り上げた仮想現実である」という見解もある。この場合、真に実在するものは何もなく、全てはコンピューターシミュレーションのようなものだという事になる。

この「コンピューターの作り上げた仮想現実」を取ると、神の概念は不要になるかも知れない。しかし、その場合「コンピューターを造ったのは何者か」という新たな問題が生じ、結局、やはり宇宙の究極的な存在の問題に行き付かざるを得ないと考えられるのである。

僕は幸運にも神を体験する機会を与えられた。このため、有神論から無神論に行き付き、また有神論に戻るという道草を食わずに済むことになった。この幸運に感謝し、「真に存在するのは何であるか」という問題を考え続けて行きたい。

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