とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

この世が仮想現実であるかも、という個人的体験(2)

昨日のブログ http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-54.html では僕の妻が妙なアクセントの方言で話しはじめた体験について書いた。

本日のブログでは、それと並行して起こっていたより奇妙な現象について書くことにする。

なお、ブログを始めた頃は、この事は隠して置こうと考えていた。それは、あまりに奇妙で科学的に説明が付かないためである。

僕は2012年4月に躁状態になった時、視野の左上1/4くらいの部分に沢山のサムネイルを見たのである(Windowsのデスクトップ画面にアイコンではなくサムネイルを出したような感じである)。

それぞれのサムネイルは正方形かやや縦長の長方形かであり、それらの集合体は視野の左上1/4くらいの部分でほぼ正方形を形作り、サムネイルとサムネイルの間隔はかなり狭かった。

なお、サムネイルとサムネイルの間には僕の見ている視野内のものが見えた(つまり、WindowsやMacのバックグラウンド画面と同じである)。

そして、個々のサムネイルの中身は僕の視野に見えるものとは別のものが見えた。それも静止画ではなく、動画で見えたのである。

このようなサムネイルがコンピューターのデスクトップ画面ではなく、生身の人間である僕の視野に見えたのである。

昨日のブログで書いた「僕の妻が妙なアクセントの方言で話しはじめた体験」においては、それを僕の幻聴と捉える解釈も可能である。

しかし、今日書いた「視野に沢山のサムネイルを見た体験」では、それを幻覚と捉える解釈は非常に困難である。

例えば、沢山のサムネイルのひとつには僕の妻の顔が映っていたが、その時、僕は妻の方を向いていなかったのである。これは、僕の意識(目で見る視野ではない)の何かが妻の方を見て、それをサムネイル化して僕の視界に映し出したと考えられる(幻覚と捉える考えも出来ないわけではないが、幻覚とするのはかなり無理がある)。

体外離脱した人が自分の姿を見ることがある、というのは良く聞く話であるが、もしかするとサムネイルの中の画像は体外離脱時と同じように、目ではない何かが見ていると考えることが出来るのではないだろうか。

なお、僕は最後には気絶してしまったのだが、気絶の直前には視野のバックグラウンドは真っ暗で、視野全域にサムネイルだけが見えている状態であった。

この「視野に沢山のサムネイルを見た体験」は、人間の意識が仮想現実であると考えると辻褄が合う。脳はコンピューターと異なり、サムネイルを作成して視野に映し出す機能は持っていないのである。

我々の意識を作り上げているものは、何か脳とは別に存在するのではないだろうか?そして、我々は皆、脳とは別のものが作り上げた仮想現実の世界を見続けていると考えると良いのかも知れない。

しかし、我々の体験する世界が仮想現実だと考えると辻褄が合うとしても、何かピンと来ないものがある。それは、我々が仮想現実の世界にどっぷりはまっており、それを「仮想」であると捉えることを我々の感覚が阻むからである。

また、仮想現実と神との関係は一体、どうなっているのだろうか?仮想現実は神が作り出しているのだろうか?

いずれにせよ、僕の「視野に沢山のサムネイルを見た体験」はさらなる謎を生み出しただけで、この現象を分析し続ける事に生産性はあまり無いように思える。

ただ、「我々の体験している世界は仮想現実である」という仮説と辻褄が合う事例をひとつ付け加えたとは言えるかも知れない。

なお、僕は基本的に科学的な思考をする人間であり、今日のブログの内容も「我々の体験している世界は仮想現実である」という仮説をサポートする事例をひとつ追加したのみである(つまり、この世は仮想現実という仮説はポパーの言うように証明することは出来ない。反証することが出来るのみである)。

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