とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

宗教と科学は共存しうるか

バハイ教は「科学と宗教の調和」を教義としている。

しかし、科学と宗教(スピリチュアリズムも含む)は果たして矛盾せずに共存出来るのだろうか?

例えば、西洋では古来より「創造説」が真理と考えられて来たが、今では進化論にとって代わられ、宗教が支配する範囲は狭まっている。

今後、科学が更に進歩すると、宗教の支配領域はもっともっと狭まって行き、最終的には科学が全てを説明することになりはしないか?と予想することも可能である。

この問題は、科学哲学からある程度考えることが出来る。

現在、科学哲学(科学の方法論)を巡っては複数の思想が対立しているが、その中で多くに支持されているのがポパーの反証主義である。

ポパーは、「科学理論は実験によって反証出来なければならない」と考えた。ポパーは、人間が観察によって科学理論の正当性を証明することは原理的に不可能であり、観察によってできることは、ある理論を反証することだけである、と主張している。

このポパーの考えを適用すると、「反証可能性を持つ命題」が科学的命題であり、反証可能性を持たない命題は科学では手におえないということになる。そして、一回でも反証されれば、その命題は間違いということになる。

スピリチュアリズムに関する命題で言うと、科学者は長年「死後に意識はない(意識は脳が作り出す)」と考えて来たが、http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-5.html で紹介したパム・レイノルズの臨死体験は、脳波がフラットな状態(脳死状態)において体外に意識があったことから、意識は脳が作り出すとは言えない、という反証がなされた。

したがって、今、我々は「意識は脳が作り出す」に代わる科学理論(反証可能性を持つ理論)を造らねばならない、ということになる。

しかし、生物の持つ意識の問題についての科学の発展は進歩のスピードが遅いようだ。意識の問題の究極的な探究は神の存在問題(意識と神の関係の問題)になると考えられるが、それが科学の対象になる時代は果たして訪れるのだろうか?

あるいは、意識の問題や神の問題は科学の対象にはなり得ないのか?

神の問題が科学の対象にならないとすれば、どこかに宗教と科学を分け隔てる境界が存在するということになるが、その境界はどこになるのだろうか?

この問題については、僕がインターネットで検索した限りでは、まだ未発展の領域のようだ(「心または意識に関する量子力学的アプローチ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/量子脳理論 というのがあるにはあるが)。

神の存在を信じる科学者は多いし(アインシュタインなどが有名)、僕個人の経験でもどうやら神は存在するらしいと考えているのだが、それを立証する手段が無いというのは、もどかしいものである。

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