とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

環境倫理学と地球温暖化防止

地球温暖化防止は、人類社会が将来的にも持続出来るようにすることを目的としている。これは一種のコンセンサスと言って良いだろう。

他方で、地球温暖化防止を倫理学的な観点から捉えることも可能である。

本日は「環境倫理学」の立場から見ることにより、現在の地球温暖化防止への取り組みにどういう問題があるかを考えることにする。

アラン・マーシャルによると、過去40年の間、環境倫理学には以下の3つの考え方があるとする(以下、https://ja.wikipedia.org/wiki/環境倫理学 に基づいて説明)。

(1) 自然の生存権:人間だけでなく自然も生存の権利を持つ、人間は自然の生存を守る義務を持つ、といった考え方。「自然と人間の共生」という考え方にまとめることもできる。

(2) 世代間倫理::現在を生きている世代は、未来を生きる世代の生存可能性に対して責任があるという考え方。

(3) 地球有限主義:他の目的よりも有限な地球環境を守ることを優先する、生態系や地球資源を軸に物事を考える、といった考え方。

まず(1)の自然の生存権については、地球温暖化防止(パリ協定の2℃目標)でも生物種のある程度の絶滅は避けられないと考えられる。このため、パリ協定は自然の生存権はある程度考慮しているものの、完全には考慮していないと僕は考えている(完全に考慮するなら、1℃目標くらいにせねばならず、それは経済成長の否定に繋がる)。

(2)の世代間倫理については、パリ協定の2℃目標では温暖化による被害額という点ではある程度の世代間公平を考慮していると考えられるものの、温暖化対策費用(省エネルギー、新エネルギー開発費用)としてはかなりの費用を将来世代へのツケとして支払わせているのではないかという疑問が生じる。現在実施されているような生ぬるい温暖化対策では、将来世代の負担は避けられないのである。

(3)の地球有限主義については、「他の目的よりも有限な地球環境を守ることを優先」の「他の目的」が快適な生活、経済的利益、健康、幸福など、人類にとっての利益を意味していることから、現在の地球環境政策がそれらの他の目的よりも地球環境の保全を優先しているとは考えにくいのである(特に、経済成長至上主義という価値観から現在の社会は抜け出せない)。

このように、人類社会が将来的にも持続出来るようにすることが、現在の地球社会のコンセンサスであるとは言っても、それは経済成長を前提としたコンセンサスであり、環境倫理学の立場に立ったコンセンサスではないと結論出来る。

このため、パリ協定の2℃目標については、経済学者の間では懐疑的な意見が多い。2℃目標はCO2濃度では450ppm程度であるが、経済学者には550ppm程度の方が経済成長と地球環境保全のバランスが取れると考えている人が多いのである(あるいは、http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-46.html で紹介したオーバーシュートシナリオが良いと考える人も結構居る)。

要するに、環境倫理学と現行の地球環境政策(特に経済学者の提唱する政策)の間には「バカの壁」のような問題が立ちはだかっているのである。両者は非常に互いを認め合うことが難しい。

という事で、希望が見えるのは、新エネルギーの開発なのであるが、それだけでは地球温暖化防止の達成が難しいのはこれまでに書いて来た通りである(例えば、http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-35.html を参照)。

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