とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

僕が見た「神」の正体は一体何だったのか?

http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-24.html においては、僕は自分の見た「神」について紹介した。

僕はこの「神体験」の時は、それを見た(感じた)瞬間に「これは神だ」と思った。でも、後で考えて見ると、なぜ「神だと思った」のか、またその「神」の正体は一体何だったのかをあまり考えないままに、今日まで過ごしてしまった。

このため、今日はなぜ僕が「神だと思ったのか」そして「神の正体について」を考えてみたい。

本ブログでは、これまで神の存在証明の仕方を色々と考えて来たが、今のところ検討したどの方法でも神の存在証明は出来ないことになってしまっている。

ところが僕は100%「神は存在する」と思っている。つまり、主観的なレベルでは神の存在証明が確立していることになる。どう考えても、あの体験は神の存在抜きにしては成立しないのである。

なぜ、「神だとおもった」かは、あの時、思考のスピードがどんどん上がり、最後には http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-24.html で図示したように思考がイメージに変化したことにある。

どう考えても、人間の脳にはあのような思考は出来ないし、あのような思考をするのは神しかいないと僕は考えている。あの時、「自分が神になってしまった」と思い上がってしまったのも、あの思考を自分がしたことにより、自分と神が一体化したと捉えたからである。

しかし、考え方によっては、「自分と神が一体化」する現象が起こってもおかしくないと捉えることも出来る。例えば、エックハルト・トールは「我思う」の我はエゴが多くを占めているが、「大いなる存在」も我には含まれていると書いている。僕が「自分が神になってしまった」と考えた時は、「大いなる存在」が前面に出て「エゴ」が後退した状態にあったのかも知れない。

これは哲学的には、西田幾多郎が言う「直接経験」だったのかも知れない。西田幾多郎の言う直接経験とは、「自己の意識状態を直下に経験した時、未だ主もなく客もない、知識とその対象とが全く合一している。」というもので、確かに僕が「神体験」をした時、主観と客観は合一していたように感じられる。

僕が「神体験」をした時の主観の主体は僕自身であるが、僕が見た客体も僕の頭の中にあるイメージであり、やはり僕自身(僕の中の神のような存在)であったように思われる。

このように、「人間の脳では出来ない思考」が「主観と客観を合一した状態」で現れたから、僕はあの体験をして「神を体験した」と感じた、と結論出来ることが出来るのである(あくまでも、現時点での暫定的な結論であるが)。

次に、この「神体験」で体験した神の正体が一体何者であったかである。

ひとつの考え方は、エックハルト・トールの言う「大いなる存在」と仮定する考え方で、それは人間の意識の中に潜んでいたものである。僕の神体験においては、双極性障害(躁うつ病)の躁状態という特殊な精神状態においてその「大いなる存在」が顕在化した、と考えるのである。

もう一つの考え方は、人間の意識の中に潜んでいるのではなく、どこか別の場所にいる神が躁状態において僕の脳にコンタクトして来たという考え方である。この場合の神は古くから言われているような全知全能の人智を超えた存在であると考えることが出来る(あるいは、全知全能の神が人間の意識の中に潜在的に存在している可能性もある)。

なお、神が自分自身の意識の中に存在するか、別の場所にいるかのどちらが正しいかは、現時点では僕には判断出来ない。ただ、体験者としての僕の感覚では神は全知全能であり、神にとって不可能な事はないように僕は思えた。僕が神体験をしたのは少しの時間であるが、その時は僕が世の中の因果の中心にいる(誤解を招く表現かも知れないが、僕が世の中の因果の全てをコントロールしている)ような感覚を覚えた。

いずれにせよ、神の能力は人智を超えたものであるように思え(例えば「エネルギー消費を1/10に抑える技術」を僕に伝えた事など)、その能力を使える人もいるかも知れない(引き寄せの法則で成功した人など)ということである。

以上、僕が確実に言えることは「人智を超えた、何らかの存在」が現実に存在する、という事である。僕は特殊な人間ではなく、どこにでもいる普通の人間であるから、古来から僕のような体験をした人々が沢山いて、それを「神」と呼んできたという仮説を立てることが出来る。

なお、どうすれば神と直接コンタクトを取れるかは、僕には全く分からない。僕の場合は精神病で脳が特殊な状態になった時に神を直観しただけであるから、単なる偶然でしかない。今後また、僕が神とコンタクトをとれるかどうかは僕には分からない。

という事で、僕が神について理解した事はかなり限定的であり、その限定的な理解を元に思考して行くしか道はないということである(もっとも、将来的に僕が覚醒してもっと神を知ることが出来る可能性もあるが)。

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