とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

僕が見た神の姿

2017年4月11日の日記 http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-15.html の中で、僕は以下のような事を書きました。

(以下、引用)

そして、その軽躁状態のある夜、色々な事を考えていると、突如、思考が高速回転を始め、その回転速度がどんどん速くなってついには思考が「神の領域」と言えるレベルに達してしまったのだ。

(引用終わり)

今日は、それをもう少し具体的に記述します。

僕の体験はブログ http://fuurann1104.blog.fc2.com/ を運営されている風蘭さんのものと似たところがあります。

風蘭さんも双極性障害において「神の領域」に触れてしまったと書かれています。具体的には、以下のような体験をされています。

(以下、引用 http://fuurann1104.seesaa.net/article/446601819.html

この体験は正に神の領域である。
雨も上がり新緑は見事に太陽光を受けて光合成の呼吸を繰り返し、
雨は清水となり川から海へと光輝きながら流れる。
大地はゆっくりと自転し、空は益々大気と太陽光との乱反射で青く染まる。
そして遥か宇宙ではこの星も太陽の周りを公転し、また太陽も銀河系を周り、
そしてその銀河もまた宇宙の螺旋の中で動き続けるのを感じる。
宇宙の構成物質は何億年をかけて生命を生み出し、その遺伝子は進化を繰り返す。
恋人達は肌と粘膜をどうしようもなく擦り合わせたくて仕方がなく、
子供達は皆歓喜の笑顔を見せつける。
何という多幸感なんだろう。
神の視点で全てが現実に体験できるのだ。

(引用終わり)

これを読んだだけでは「神の視点」とはその程度のものか、と感じる方が多いと思いますが、上記の引用文の全文が一瞬(0.5秒以下)で頭に浮かんだら、どうでしょうか?普通に考えると、「そんな事はありえない」と思うでしょう。しかし、そのような事が現実にありえるのです。

僕が神を感じた時がそうでした。

僕の場合、最初はゆっくりと思考していました。するとある瞬間から思考の速度が上がり始め、どんどん思考の速度が速くなっていって、ついには神の領域と言えるスピードまで思考の速度が速くなってしまったのです。

僕が、神を感じた時、最初は言葉を使って考えていました。しかし、思考の速度がある程度早くなった時には思考は言葉ではなく、イメージに変化しました。そのイメージを以下の図に示します。
神の姿
僕はこういうイメージを頭の中で見ました。図の中に→がありますが、これは思考の回転する向きです。なぜか、思考が一つではなく、2つの流れになって高速回転しました。

あの時、どういう内容の思考をしていたかは、僕は正確には覚えていません(日記に思考の内容を記録しなかったので、何を考えていたか正確には分かりません)。

したがって、これは憶測になるのですが、どうも僕は因果関係について考えていたのかも知れない、と感じています。ある原因があって、それがある結果を引き起こす、そしてその結果が原因となって、さらに別の結果を引き起こす、という因果の連鎖関係です。そのような思考が上の図の2つの輪の中にビジョンとして見えました。

そして、その因果(?)の中心に僕自身が位置しているように思えたのです。

その時、僕は傲慢にも、「自分が神になってしまった」と思ってしまいました。この「自分が神になってしまった」という感覚は何日か続きましたが、徐々に正気を取り戻し、自分は特にとりえのない普通の人間だと感じるようになりました。

僕のこの体験はチャネリングとかそういった種類のものではなく、単に、「普通の人間の脳では考えられない、神レベルの思考をした」というだけです。なぜ、この思考が神と結びつくのか?という点も僕には上手く説明出来ません。ただ、この思考をした時に「神は存在する」と主観的に確信しただけです。また、特に神からのメッセージも受け取っていません。

いずれにせよ、僕は自分なりの簡単な哲学を、この体験を起点に開始してみようと思っています。

恐らく、それは西田幾多郎の「善の研究」と似たものになるのではないか、と想像します。ただ、西田哲学が前提とする『統一的或者(実在、神)』を、神を信じない人にも分かるように述べられないか、という点が課題ですね。中学生レベルの国語力と認識力でも分かる哲学というものが出来ないものかと考えています。

話は変わりますが、僕のような体験をすると、自我が肥大して行く危険性があります。また、誇大妄想に陥る危険性もあります。新宗教の創始者には、そうした自我の肥大と誇大妄想に陥った人が多いと思います(そうでもなければ、新たな宗教など始めることは出来ない、という仕方のない面もありますが)。

極端な話、全ての宗教の開祖は、ある面では自我の肥大と誇大妄想に陥っていたと考えることも可能ではないでしょうか?しかし、それがなければ宗教は発生しなかったという逆説もあります(素朴なアニミズム等を除いて)。そして、特定の宗教を信じる人の持つ妄想が宗教間対立や宗教戦争をもたらすと考える事が出来ます。

それならいっそ、宗教など世の中に無い方が良いのではないか?とも考えられるのですが、話はそう簡単ではありません。僕の主観では、どうやら神というものが存在するらしいからです。この話は続けるときりがなくなってくるので、また日を改めて考えることにします。

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