とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

アブダクション(仮説形成)による神の存在証明

4月8日の日記 http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-13.html において、僕はアブダクション(仮説形成)という論理的推論が神の存在証明において重要になるのではないか、と結論した。

そこで、本日はアブダクションと神の存在証明について、考察を進めることにする。まずは、アブダクション(仮説形成)について、wikipediaの記事から引用する。

(以下、引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/論理的推論

論理的推論(ろんりてきすいろん、英: logical reasoning)は、論理学において演繹、帰納、アブダクション(仮説形成)の3種類に区別されうる。「前提条件」(precondition)、「結論」(conclusion)、そして「『前提条件』は『結論』を含意する」という「規則」(rule)があるとすると、それら3種の推論は次の仕方で説明されうる。

(中略)

アブダクション(仮説形成)
アブダクション(仮説形成)は「前提条件」を規定することを意味する。この推論は「結論」と「規則」を用いて、「『前提条件』は『結論』を説明することができるだろう」ということを裏づけることである。例えば、「芝生が湿っている。雨がふると芝生が湿る。したがって、雨がふったに違いない。」歴史科学者や診断専門医、探偵は通常、この種の推論にかかわっている。

(引用終わり)

(以下、引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/アブダクション

(前略)
アブダクションは、関連する証拠を――真である場合に――最もよく説明する仮説を選択する推論法である。アブダクションは観察された事実の集合から出発し、それらの事実についての最も尤もらしい、ないしは最良の説明へと推論する。

アブダクションという用語はまた、たんに観察結果や結論を説明する仮説が発生することを意味するためにもときおり使われる。だが哲学やコンピュータ研究においては、前者の定義がより一般的である。

(中略)

アブダクションは、結論 b に規則「 a ならば b である」を当てはめて仮定 a を推論する。帰納が仮定と結論から規則を推論するのに対し、アブダクションは結論と規則から仮定を推論する。

アブダクションは、推論した仮定が真であることを保証しない。アブダクションそれ自体としては、形式的には論理学でいう後件肯定に等しい。

このようにアブダクティヴな推論はそこで提起される原因が疑わしいので、「前後即因果の誤謬 (Post hoc ergo propter hoc)」という時間の前後関係を因果関係と混同した虚偽の論法に似ている。

(引用終わり)

これを、エベン・アレグザンダーと僕の「神体験」に当てはめると、次のようになる。

「ある人が神を感じた。神が存在するなら、ある人は神を感じることが出来る。したがって、神は存在するに違いない。」

神を感じた人は歴史の中に沢山いると思う。

有名な例として、ソクラテスの弟子が、アポロンの神託所において、巫女に「ソクラテス以上の賢者はあるか」と尋ねてみたところ、「ソクラテス以上の賢者は一人もない」と答えられた、という記述がプラトンの名著『ソクラテスの弁明』にある。

これらを考えると、アブダクションによって神の存在証明することは有効なように感じられる。

しかし、上のwikipedia記事にある通り、アブダクションによる論理的推論は、推論した仮定が真であることを保証しないのである。つまり、アブダクションは「神の存在証明」としては不完全であるということになる。アブダクションによる「神は存在するに違いない」という結論は「神は存在する」という命題を保証しないのである(「違いない」と言っているだけで本当に神が存在するかどうかは確証されていないのである)。

ということは、神の存在証明には演繹か帰納を用いる方がより妥当なのだろうか?

これについては、また後日考察して行こうと思う。

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