とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

忠臣蔵の大石良雄を祀る「大石神社」を神はどう考えるか

兵庫県赤穂市と京都市に「大石神社」という神社がある。

赤穂市の大石神社は赤穂浪士47人および中途で自害した萱野重実を主祭神とし、京都市の大石神社では大石良雄を祀っている。この大石良雄(内蔵助)をまつわる物語は「忠臣蔵」として文楽や歌舞伎、あるいは映画やテレビドラマでも有名である。

僕は神を体験をするまで(詳細は http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-24.html を参照)、この物語を普通の日本人と同様に美談として捉えていた(もっとも、少し古い価値観に基づく美談だな、とも思っていたが)。そして、実際にこの大石神社に大願成就のために参拝したこともあるのである。

しかし、これを神の視点から捉えるとどうなるだろうか?

まず、吉良上野介が浅野内匠頭(たくみのかみ)に遺恨を残すような行為をしたこと。これはもちろん倫理的に間違っている。

しかし、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかったことも、神の視点から捉えると間違っていると言える(どんなに侮辱されても耐えなければならない、というのが神の視点である)。

そして、浅野内匠頭が死刑(切腹)を言いつけられたことは法的に間違っている(僕が調べた限り、殺人未遂ではヨーロッパ古代法でも死刑にはならない)。

もちろん、吉良上野介に対する四十七士による仇討も、神の視点から見ると間違っている。

また、四十七士が死刑になったのも、神の視点から見ると間違いなのかも知れない(例えば、EU加盟の条件に「死刑廃止」がある)。

要するに、美談として語られている忠臣蔵は、神の視点から見ると、間違いに間違いを重ねた物語なのである。しかし、この物語は何か日本人の心には魅力をもって捉えられるらしく、21世紀の今でも人気がある。なぜ人気があるかは、wikipedia記事 https://ja.wikipedia.org/wiki/忠臣蔵 の『「忠臣蔵」の魅力』の項に色々な論者による考察がまとめられている。このwikipedia記事を読むだけでも、忠臣蔵にはそれが美談に思えてしまうマジックがある。

しかし、もっとも不可思議なのは、「大石神社」として、大石良雄が「神」として祀られていることである。いくら中世的な価値観では美談であっても、その主人公(一種の復讐者)を神として祀るのは、宗教として問題があるのではないだろうか(ちなみに、京都の大石神社が出来たのは昭和になってからである)。日本人の神概念は、世界基準から大きく外れているのである。

この点、日本人の価値観には21世紀の今になっても、何か前近代的な価値観が含まれていると言わざるをえない(サービス残業なども、この前近代性から来るのかも知れない)。しかし、今後の少子化とグローバル化(在日外国人の増加など)などにより、この前近代性は改善せざるを得ないのではないだろうか。

以上の議論は、僕が「神体験」をした頃に考えたものである。とにかく、神体験により僕の頭の中は何かが変わった。ただ、僕一人が変わったことで世界の何かが変わるわけではないのだが。

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