とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

エックハルト・トールの言う「エゴ」とは何か

昨日(2017年4月26日)の日記 http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-28.html において、僕は「エゴ」という概念がスピリチュアリズム(特にエックハルト・トールの思想)を理解する上で重要であると書いた。

このエゴについては、2017年4月18日の日記 http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-21.html でも言及しているのだが、この説明は分かるような分からないようなものである。

一般にエゴと言うと (1) 自我、自尊心 (2) 利己主義な考え (3) 利己主義な人 を指すが、エックハルト・トールの言うエゴは一般に言うエゴの定義とは多少異なる。

ニュー・アースp.63にはエゴが次のように定義されている。

(以下、引用 ニュー・アースp.63)

エゴとは「自己」という意識、エゴという意識をまとって繰り返し生起する思考の形と条件づけられた精神・感情のパターンの塊なのだ。

(引用終わり)

しかし、これだけを読んでエゴが何であるか分かる人は恐らくいないと思う。

そこで、色々なサイトを検索したところ、一番簡単に理解出来るのは、「勉強すれば人生変わる」 http://www.6rou.net/ というサイトだった。

(以下、引用 http://www.6rou.net/envi_syumi189.html

なので私は本書を読む際、以下のように頭の中で変換しておりました。

エゴ(の構造)→インチキ

文字通り、インチキの私やインチキの世界を作り上げるインチキなシロモノだから。 「エゴ」よりも親しみやすく?、「これはインチキだ!」と気付きやすい名称だと思う。

(引用終わり)

確かに、ニュー・アースを読む際に「エゴ」を「インチキ」に変換して読むと、遥かに分かりやすくなる。

ニュー・アースによれば、エゴが生まれる最も基本的な精神構造の一つがアイデンティティである、とのことである。何かにアイデンティティを求める、同一化するというのは、「それを同じだとする」という意味なのだそうだ。

我々は、自分の身体、肩書、所有物、所持金額、他人からの評判などに自分自身を求め、それゆえに自分自身を失ってしまう。しかし、良く良く考えてみると、自分が何かにアイデンティティを求めるという行為は、結局「インチキに嵌った」に過ぎないのではないだろうか?

ニュー・アースによれば、何かにアイデンティティを求めたいという無意識な衝動は、エゴの構造と関係している。何を自分と同一化させるかは、人によって、年齢や性別や所得、社会階層、流行、文化によって大きく異なるが、自分と何か外部のものを同一化させると「私の~」「もっと欲しい」「まだ足りない」となる。これはモノでもモノ以外(例えば肩書)でも同じである。

このエゴの構造をモノに限定して考えると、人がモノに自分自身を見出そうとする努力はどうしてもうまくいかない結果となる。何かを手に入れれたとしても、エゴの満足は長続きしないから、さらに多くを求めて消費し続けることになる。これが消費社会の成り立つ原因である。現在の先進国の社会は、生物学的生存の必要性からは遥かに超えた消費をしているが、消費をし続けなければ社会が成立しないような社会構造となっている。

結局、このエゴの構造が極まって地球環境を破壊し、下手をすると人類が滅亡しかねない事態となっているのだが、スピリチュアリズムはこれを傍観して「我々は不死であるから、いくら地球を破壊しても大丈夫」と言えるのだろうか?

僕は、やはり人類はエゴの構造から抜け出さねばならない、と考えているのだが、どうだろうか?悟り系、引き寄せ系を問わず、スピリチュアリズムはエゴの問題と対峙すべきではないだろうか?

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