とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

エベン・アレグザンダー著『プルーフ・オブ・ヘブン』は神の存在証明でもある

本日のブログタイトルは随分挑戦的なものだ。

昨日に書いた記事「エベン・アレグザンダーの臨死体験について」http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-8.html は死後の世界の存在証明になっているばかりではなく、「神の存在証明」になっているなんて、普通の人が見れば「都雄次というヤツは頭がおかしい」と思われるに違いない。

しかし、「科学的態度」しかとらないエベン・アレグザンダーが以下のような事を言っているのだ(昨日の日記の繰り返しになるが)。

(以下、引用 http://romansulove.jugem.jp/?eid=10

(前略)
こちらの世界で考えられているような言語機能は働いていなかったが、
私は言葉を用いずにその風に対し、
またその背後で働いていると感じられた神聖な存在に対して問いかけた。

ここはどこですか?
私はだれなのですか?
なぜ私はここにいるのですか?

ひとつ無言の質問をするたびに、電光石火の速さで答えが返ってきた。

(中略)

奇妙なことだが、私の置かれた状況は、子宮の中の胎児に似ていた。
子宮の胎児はプラセンタと呼ばれるものを言わない相棒とつながり、
そこから栄養を受け取って、あらゆるところに存在していながら
姿は見えない母親との関係を仲介してもらっている。

私の場合は胎児の"母親"に相当するものが、
宇宙とそこにあるもの全体の母体、言い換えれば、神や創造主、
根源などと呼ばれる存在だった。
神の存在はきわめて間近に感じられ、自分との間にまったく距離がないように思えた。

(中略)

オームはオーブを通して、私に語りかけた。

宇宙はひとつではない。
お前の理解を超えるほど数多い宇宙がある。
しかしすべての宇宙がその中心に愛を持っている。
どの宇宙にも邪悪は存在しているが、ごくわずかでしかない。
邪悪が存在しなければ、自由意志を持つことができない。
邪悪はそのためにこそ必要とされてきた。
自由意志を持つことなしには、発展が得られない。
進歩がなくなり、神が人類に対して願い続けてきたことを、
人類には達成することができなくなる。
世俗世界の邪悪は醜悪で強力でもあるが、全体から見れば愛が圧倒的に優勢であり、
最終的に勝利を収めるのは愛である。

声はそう語った。
私はその場所で、無数の宇宙に豊かな生命が息づいているのを見た。
その中には人類よりはるかに進歩した知性を備えるものたちもいた。
数限りない高次の次元があることも知った。
高次の次元は、その中へ入り、直接体験するかたちでしか知る方法がないこともわかった。
低次の次元空間からは、高次元世界は知ることも理解することもできないのだ。

因果の関係は高次元にも存在しているが、この世界の概念とは異なっている。
またこちらの世界で体験されている時間空間は、
いくつもの高次元に複雑なかたちで密接に織り込まれている。
言い換えれば、高次元の世界はこの世界と完全に隔絶しているわけではない。
あらゆる世界がそれらすべてを包み込む神聖な"真理"の一部分を構成しているのである。
そして高次の世界からは、こちらの世界の時間や場所に自由につながることができるのだ。

(引用終わり)

上記の文章は、スピリチュアリズムの世界で怪しげな出まかせのウソを書く人による文章に類似している。

しかし、エベン・アレグザンダーは「科学的態度」しかとらない人なのである。したがって、少なくとも彼の主観にとって、「神聖な存在」「神」は実在するものである。

僕も精神病で脳が通常とは異なる状態になってしまった中で、「神の存在」を感じ取ってしまった。それは「これ以上の驚きはない」体験だった。まさか、自分が人生の中でこんな体験をするとは、それまで想像もしていなかったのだ(ちなみに、僕は理学部の出身であり、エベン・アレグザンダーと同様、科学的な態度で物事を捉える人間である)。

いずれにせよ、「個人の主観的なレベル」において、エベン・アレグザンダーと僕は「神の存在証明」を成し遂げてしまったのかも知れない(但し、「神の存在証明」は客観的なものでなければ意味がないという弱点がある)。

僕が一番始めに書いた日記 http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-1.html において、僕はカントを引用して「どう哲学的・論理的に考えても「神が存在する」ことを証明することは出来ないのである」と書いた。

つまり、神の存在証明は演繹的な方法ではなく、帰納的な方法しか用いることは出来ないということだ。

帰納的な方法とは、簡単に言えば、多くの観察事項(事実)から類似点をまとめ上げることで、結論を引き出すという論法である。

したがって、エベン・アレグザンダーと僕による観察事項から類似点をまとめ上げ、さらに同様の経験をした人の観察事項をひとつひとつ加えて行くしか、「神の存在証明」は出来ないことになる(ただし、ある種の「奇跡」を客観的に見せることが出来れば神の存在証明が一気に出来るという考え方もある)。

僕が願うことは、「世界の全ての人が神の存在を感じ取る」ことである。そうすれば、世の中の色々な問題が解決されて行くに違いない。人間は神の偉大さが分かった時、真に謙虚になれるからだ。

エベン・アレグザンダーは「脳の機能停止」、僕は「精神病」がきっかけになって「主観的な神の存在証明」を成し遂げてしまったわけだが、もう少し苦しみのない神の存在証明はないのだろうか?

例えば、モンロー研究所の「ヘミシンク」をもっと改良して、「神を感じる」体験が出来るようにするとか、これだけ科学技術が発展した今日であれば、脳の状態をコントロールする何らかの方法が開発されてもおかしくないからである。

とにかく、「神の存在を感じる」ことは、これ以上に素晴らしい経験はないほど、とてつもなく素晴らしいものなのだ。

追記
アップルコンピューターの創業者スティーブ・ジョブズが死ぬ前に最期に放った言葉は「Oh wow. Oh wow. Oh wow」だったらしい。もしかすると、ジョブズも僕が経験したのと同様な「神を感じる」経験を人生の終わりに経験したのかも知れない。もっとも、これは僕の憶測に過ぎず、何を経験して「Oh wow. Oh wow. Oh wow」とジョブズが言ったのかは、結局、彼本人にしか分からない。

ブロクランキングに参加しています。
ぜひ『ぽちっ』と押してやってください。
   ↓
にほんブログ村 哲学・思想ブログ スピリチュアル・精神世界へ
にほんブログ村

関連記事
スポンサーサイト

PageTop