とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

パム・レイノルズの臨死体験の重要性について

僕は3月29日のブログ http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-5.html において、「客観的なスピリチュアリズムの例」としてパム・レイノルズの臨死体験を紹介しました。

この臨死体験は世界的には有名なものですが、日本ではエベン・アレクザンダーの「プルーフ・オブ・ヘヴン」に比べると知名度が低いようです。

なお、このパム・レイノルズの臨死体験については、「疑り深い人による精神世界日誌」というサイトに詳細がまとめられているので、詳しくは彼女のサイトを見て頂ければと思います。サイトのアドレスは以下の通りです:
脳手術における臨死体験~パム・レイノルズのケース(1) https://plaza.rakuten.co.jp/cyousenrekishi/diary/200902140000/
脳手術における臨死体験~パム・レイノルズのケース(2) https://plaza.rakuten.co.jp/cyousenrekishi/diary/200903150000/
脳手術における臨死体験☆パム・レイノルズのケース http://romansulove.jugem.jp/?eid=8

ここで重要なのは、パム・レイノルズが事実上「死亡」状態にあり、そこから生き返ったという点にあります。「疑り深い人による精神世界日誌」からその部分を引用させて頂きます。

(以下、引用 http://romansulove.jugem.jp/?eid=8

(前略)
ミュージシャンのパム・レイノルズという女性が、世界的に著名な脳神経外科医ロバート・スペッツラーによる脳手術の最中、脳幹の反応が一切なくなり脳の全機能が活動を停止した状態で(現代医学では脳死とされる状態)、彼女は臨死体験をしているのです。

この女性に施された手術は、本人の体温を華氏15・6度まで下げ、心拍と呼吸を停止させ、脳波を平坦にし、頭部から血液を全て抜き出し、患者を事実上「死亡」させた状態で行なう「低体温心停止法」というもの。

(中略)

「残念ながら俗受けするほとんどの臨死体験談には、その中で主張される医学的危機状況や、脳波活動、血圧、心調率、その他の生理的指標の裏づけがほとんど、あるいは全く存在しない。その体験談全体が、自己報告のみに基づいていることも少なくないのだ。だが、アトランタ研究では、臨死体験の前後に起こった出来事の医学的記録を、可能な限り入手した。パム・レイノルズの事例で得られた医学的記録は、従来の記録をはるかにしのいでおりこれまでのところ臨死体験を科学的にかいま見た最も完璧なデータになっている。」
(後略)

(引用終わり)

臨死体験については、立花隆氏による一連の著作が有名ですが、立花氏自身は、結論として「臨死体験は脳内現象」という事で締めくくっています。

これに対し、パム・レイノルズの臨死体験は、「臨死」というよりも「本当に死んでしまった」状態からの生還である点が異なります。

そのように「事実上の死亡」の中で先に死んだ親族に出会ったということであれば、「あの世」というものがあることに対する一つの証拠になるのかも知れません。

ただ、「この世」しか知らない我々は、実際にパム・レイノルズのような経験をしない限り、「あの世」をありありとビジュアルに捉えることが出来ません。他人の経験はどんなに言語や映像を使って伝えようとしても、あくまでも他人の経験に過ぎず、それを「自分の経験化」することは出来ないのです。

僕は、いまその事に悩んでいます。

僕は確かに「神が存在する」という体験をしました。しかし、それはあくまでも僕の個人的な体験に過ぎず、どんな手段を使って他人に伝えようとしても、それは僕だけの体験に過ぎないのです。

しかし、ひとつ言えることは、「疑り深い人による精神世界日誌」のブログ主さんが言うように、それが他人の記録でも読み続けていると、なぜか死を恐れない気持ちになってくるということです。

(以下、引用 http://romansulove.jugem.jp/?eid=8

よくわからんけど、「死ぬ」って良いものなんだな・・(-@∀@)

(引用終わり)

哲学者キュルケゴールが、有名な著書「死に至る病」に以下のような事を書いています。

(以下、引用 キュルケゴール「死に至る病」より)

「同じように死もまたキリスト教の用語では精神的な悲惨の絶頂を示す言葉なのであるが、しかも救済はまさに死ぬことにおいて、往生において成立するのである」

(引用終わり)

僕の体験上、どうやらこれは正しいようで、「死は人間にとって救済である」ようです。もっとも、僕の場合は死後については楽観出来るようになりましたが、「死ぬ時の恐怖」がまだ乗り越えられていないです。

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客観的なスピリチュアリズムの例

僕は3月29日のブログ http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-4.html の中で、「可能な限り客観性を持った視点でスピリチュアルを語ると、スピリチュアリズムに進歩が生まれます。」「皆がウソか本当か分からない事ばかり言っている現状では、スピリチュアリズムの世界に進歩はないと僕は断言します。」と書きました。

そこで、今回は客観的にスピリチュアリズムを捉えた例を紹介します。

今回取り上げるのは、パム・レイノルズ (1956 – 2010)という人の臨死体験です。wikipediaにまとまった記事がありますので、まずはそれを引用させて頂きます。

(以下、引用https://ja.wikipedia.org/wiki/パム・レイノルズの臨死体験

概要
アトランタジョージア州出身の女性ミュージシャンであったパム・レイノルズは、1991年8月の時点で動脈瘤を患っていた。通常の脳神経外科の技術ではこの病気を治療する事は不可能だったため、パムはフェニックス (アリゾナ州)にあるバーロウ神経学研究所のロバート・スペッツラー医師を紹介された。スペッツラーはパムに低体温心停止法として知られる外科手術を施した。

低体温心停止法では、患者の体温を摂氏15~16度にまで低下させ、心拍と呼吸を停止させ、脳波をフラットにし、頭部から脳血流を抜き取った上で手術を行う事となる。パムはこの手術中に臨死体験をした。パムのケースは後に、医師であるマイケル・セイボムにより発見され公に知られる事になった。

2002年には、BBCがパムの臨死体験をドキュメンタリーとして特集した。パム、セイボム、スペッツラーの3名が報道に出演した。

手術プロセスと臨死体験の詳細
午前7時15分、手術室に運び込まれた時点ではパムは覚醒しており、点滴をたくさん打たれたことを覚えていた。麻酔薬が打たれるとパムの意識は喪失した。パムの身体は手術台に固定され、両目は乾燥を防ぐためにテープで閉じられた。ここからパムの脳波は継続的に測定され、脳幹の機能の有無を調べるために両耳には100デシベルの音を生じさせるイヤホンがはめこまれた。

午前8時40分、医師や看護婦、麻酔医や人工心臓ポンプ技師たちが入室し、手術が開始された。パムの頭は剃髪され、スペッツラーによるメスで切開された。そしてモーターが内蔵された「骨のこ」がパムの頭蓋を切り取り始めた。

一方その頃、パムの意識は「スペッツラーの肩に座って」手術室全体を眺めていた。「骨のこ」の音を聞いた事により覚醒したパムの意識は、いつのまにか頭部から抜け出していた。パムは看護婦が自分の髪の毛を剃る場面や手術で使用中の「骨のこ」の刃が交換されるシーンを観ていた。

スペッツラーは頭部の切開を終えた後、顕微鏡を用い頭蓋内の手術を始めた。その間、女性の心臓外科医がパムの右鼠径部の動脈と静脈を探し当てた。しかしその血管はバイパス装置に繋ぐためには細すぎる事が判明した。

同時刻、パムは「女の人の声」が、パムの静脈と動脈が細すぎる、と話すのを聴いていた。その血管と繋ぐための心肺バイパス装置も目撃していた。

午前11時、パムの身体の冷却が始まり、体温は摂氏14度まで低下した。5分後にパムの心臓は完全に停止し、同時に脳波も平坦になり、脳幹の機能も低下し始めた。

午前11時25分、イヤホンから発する音への聴神経反応が消失したため、脳幹の機能も停止した事が確認された。そしてパムの身体からは血液が抜き取られた。

その頃、パムは祖母に呼ばれたように感じ、意識を上昇させ始めた。トンネルのような場所を通り抜けたパムは「信じられないほど明るい」光と遭遇した。その中には光で形作られた人々がおり、そのうちの一人が祖母であった。また伯父や祖父など、仲の良かった親族数人と再会した。パムはそれ以上、光の中に入っていけないような感覚に襲われた。親族がパムに光るような養分を与えると、パムは元気を取り戻し始めた。

手術室では、スペッツラーがパムの動脈瘤を切除し終え、温められた血液がパムの体内に再び注入され始めた。すると、すぐに脳幹や脳波は反応を示し、最初の生命兆候が知らされた。

午後12時、パムに心室細動が起きたため、除細動器による電気ショックが行われた。

その頃、パムは仲の良かった伯父に連れ添われ、トンネルの入り口に戻った。するとシーツがかかっている自分の身体が見えた。身体は死体のように見え恐ろしかったが、伯父に押し出されたパムは「氷水のプールに飛び込むように」自分の体の中に飛び込んだ。

午後12時32分、パムの体温はまだ低かったが、生命を維持できる程度には上がっていた。パムの身体からチューブや計器類が引き離され、手術は完了しようとしていた。病院内では「ホテル・カリフォルニア」の音楽が流れ始めた。身体の中に戻ったパムの意識は「ホテル・カリフォルニア」の最後の一節を肉体の耳で聴いた。

スペッツラーの手術報告には「午後2時10分、患者は挿官されたまま回復室に運ばれたが、状態は安定している」と記されている。
パムは幻を見たのだと思い、手術回復後に周りの者にジョークとして話を聞かせた。家族の者は皆笑っていたが、同時に話を聞いていた医師や看護婦、麻酔専門医の表情は硬く「それは幻覚ではないよ」とパムに告げた。
(後略)

(引用終わり)

僕が後略したwikipediaの記述には、この臨死体験が真実であるかを巡った反論・再反論が展開されているのですが、僕が読む限りではそれらの反論はあまり的を得ていないように思います。

という事は、やはり「臨死体験」というものがこの世の中にはあり、その臨死状態の中で先に亡くなった親族などに会える、ということになるのでしょうか。

ただ、臨死体験というのはあくまでも本人の主観なので、それが本当に起きた事かどうかは突き詰めればその本人にしか分かりません。しかし、それでも本人がウソをつかずに、このようなデータを蓄積して行けば、徐々にスピリチュアリズムの世界は進歩し、最終的には「人間は死後どうなるのか」「この世で善行を行った人、悪行を行った人はあの世でどうなって行くのか」が分かってくる可能性もあると思います。そして、もし悪行があの世で悪い結果を起こすことが分かれば、人々はこの世で善行を行うようになり、この世がだんだん良くなって来るのではないでしょうか?

また、パム・レイノルズが経験したように、死後に先立った人々と会えるなら、死に対して希望が持てるようになるかも知れません。バハイ教では、「愛する人とは死後に会える」と教えられています。それが本当かどうか、僕には分かりませんが、僕には2人、死後に会いたい人がいます。

1人目は僕の奥さんです。これは当然かも知れませんね。ですが、僕にはその他に一人、どうしても死後に会いたい人がいるのです。それは「初恋の人」です。

僕にとって、初恋は衝撃的なものでした。それは結局、すれ違いに終わったのですが(交際も告白もしていません)、僕にとってその人は「絶対的な存在」で、僕が生きている限り、その人の事を忘れることは「不可能」です。

もし、僕が死んだ後に初恋の人と会えるならば、僕にとって死は大いなる希望になります。スピリチュアリズムが進歩して死後の世界の事が分かってくれば、世界中の人々が死という人間にとって最大の恐怖にも希望が持てるようになると思います。

いずれにせよ、このパム・レイノルズの臨死体験は貴重な記録です。

もし、今、死の間際で絶望している親族がいらっしゃれば、このパム・レイノルズのwikipedia記事をスマホか何かで見せてあげて下さい。それで、少しでも死に対する希望が生まれれば、僕がこのつたない文章を書いた本望になります。

P.S.
僕は「神を感じた」体験はしましたが、あの世についての体験はしていません。一度、あの世についての体験をしてみたいと思ってはいるのですが・・。

2017年4月14日追記:
上の文章において、僕は「死後に初恋の人と会いたい」と書きましたが、倫理的に考えると、死後の世界で僕の奥さんと初恋の人との二股恋愛をするのは許されないと思います(二股恋愛してしまいそうな気もするのですが)。それでは、僕は死後の世界で初恋の人と会って何を言えば良いのでしょうか?少なくとも、昔の想い出話をしたいとは思います。それ以上、何を話せば良いか、僕には分かりません。

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スピリチュアルの分野では「ウソをつかないこと」が重要

スピリチュアルや心霊の事を書いた本やブログ、またその種のものを扱ったテレビ番組は数多くあります。また、霊能者を名乗る人も数多くいます。

ただ、それらを書いたり言ったりしている人にどれだけ本当の事を言っている人がいるのでしょうか?

これは僕の勝手な想像かも知れませんが、恐らくはそれをネタにするとお金になるから、という理由で適当にウソを言っている人が多いのではないでしょうか?UFO写真などはコンピューターで合成すると結構なお金になるそうですから、それと同じことがスピリチュアルの世界にも横行しているのではないでしょうか?

しかし、そうやってニセの情報が溜まれば溜まるほど、真実は分からなくなります。

死後の世界はあるのか、心霊現象はあるのか、自分に先立って死んだ夫・妻・親友は今、どうしているのか?(あるいは、世界から消えてしまったのか?)誰でも、そういう事には関心があると思います。

でも、スピリチュアルや心霊を語る人がウソを言っていると、本当の事は分からなくなります。

だから、スピリチュアルの世界では、科学の世界と同様に、皆が本当の事を言わなければなりません。それが無い限りスピリチュアルの世界に進歩はありません。いつまでも同じところに留まっているだけになります。

例えば、霊を見た人がいたとします。それは、単なる幻覚かも知れないし、何らかの精神病的な現象かも知れません。しかし、幻覚であったとしても、それを可能な限り客観的な記録として残して行くとデータになります。今はインターネットがありますから、そうやって溜まったデータを色々な人の間で共有すると少しずつ何かが見えてくると思います。幻覚はどういう条件で起こりやすいか、あるいは、幻覚ではない本物の心霊現象としか考えられない現象がこの世に存在するのか、といった事が少しずつ分かってくると思います。

皆がウソをつかずに、可能な限り客観性を持った視点でスピリチュアルを語ると、スピリチュアリズムに進歩が生まれます。スティーブ・ジョブズが最初のPCであるApple Iから最後にはiPhoneまで進化させたような驚くべき進歩もスピリチュアリズムの世界に生まれるかも知れません。

しかし、皆がウソか本当か分からない事ばかり言っている現状では、スピリチュアリズムの世界に進歩はないと僕は断言します。少しでも多くの人が本当の事を言って欲しい、僕はそう願います。

そして、少なくとも僕だけは自分が体験した本当の事を書こうと思います。この日記はそういう動機に基づいたものです(もちろん、地球温暖化の防止も動機ですが)。

P.S.
ただ、僕のスピリチュアル体験は、あまり大したものではないので、期待されていた方はがっかりするかも知れません。その点はお許し下さい。僕は霊感や霊能力、超能力はない普通の人間です。

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地球温暖化防止は今後20~30年以内の対策がカギ。

3月27日の日記 http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-2.html において、僕は「革新的な新エネルギー技術の開発を何としてでも成功させよ」をいう結論を出しました。

しかし、問題はその新エネルギー開発に時間を掛けている間がないほど、地球環境問題は差し迫った問題なのです。例えば、以下のwikipedia記事を見てください。

(以下、引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/地球温暖化

(前略)
一度環境中に増えた二酸化炭素などの長寿命な温室効果ガスは、能動的に固定しない限り、約100年間(5年–200年)にわたって地球全体の気候や海水に影響を及ぼし続けるため、今後20–30年以内の対策が温暖化による悪影響の大小を大きく左右することになる。理解度が比較的低い要因や専門家の間でも意見が分かれる部分もあり、こうした不確実性を批判する意見も一部に存在する。ただし、AR4においてはそのような不確実性も考慮した上で結論を出しており、信頼性に関する情報として意見の一致度等も記載されている。
(後略)

(引用終わり)

この.wikipedia記事が本当だとすると、今後20–30年以内に革新的な新エネルギーを開発するか、生活の水準を昔に戻すかして地球温暖化の防止をする必要があることになります。

では、これに対する日本国内の対応はどうなっているのでしょうか?

まずは、経団連系のシンクタンク「21世紀政策研究所」の報告書を見てみましょう。

(以下、引用 http://www.21ppi.org/pdf/thesis/160311.pdf

(p.6) しかし、世界全体で排出削減目標が共有されていない中で、先進国だけが片務的に 80%削減を目指すことはバランスを欠き、かつ、二分法に基づく京都議定書時代への後戻りになりかねない。

(p.7)「気候系に対して危険な人為的干渉を及ぼすこととならない水準において大気中の温室効果ガスの濃度を安定化させること」の解として、「2050 年半減」及びそれに代わる「2050 年 40-70%減(2010 年比)」は様々な選択肢の一つでしかない。したがって、そこから派生した「先進国 80%減」も絶対視すべき性格のものではない。

(p.10)2050 年 80%減のマグニチュードを考えてみよう。2030 年の 26%目標を達成するためには、現在から温室効果ガス排出量を年率 1.6%で削減しなければならない。そこから 2050年に 90 年比 8 割減を達成するためには 2030 年~2050 年に年率 7%近い排出削減が必要となる。2030 年目標は省エネ、原子力、再エネいずれの面でも非常にハードルの高いものであるが、一挙にその 4 倍以上のスピードで排出削減をせねばならないのである。2013 年度を基準年としても、2030 年度から 2050 年度にかけては、年率▲6.50%削減が必要となる。

(p.10)80%シナリオでは、エネルギー消費量を現在のレベルから約 1.5 億キロリットル削減することが想定されている。2030 年目標においてエネルギー消費は現在のレベルから 3,500万キロリットル削減することを目指している。これは第一次、第二次石油危機時並みのエネルギー効率改善を平時に達成するという極めてハードルの高いものであるが、2030 年~2050 年のエネルギー消費削減量は 1.2 億キロリットル近くにのぼり、省エネの規模がさらに 3 倍以上に膨れ上がる。

(引用終わり)

この 「21世紀政策研究所」の報告を見る限り、『今後20–30年以内にCO2を劇的に減らすのは無理、2050年までにCO2を80%削減するのも無理』と読めます。

しかし、一方で自然科学の導いた結論では、今後20–30年以内に大幅なCO2をしなければ、地球生態系は壊滅的な打撃を被る可能性が高いのです。

ということで、現時点での暫定的な結論は「革新的な新エネルギー技術の開発を早急に成功させ、今後20–30年以内に大幅なCO2削減を成し遂げるべし」ということになるわけです。

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地球温暖化は防げるのか?

地球温暖化にについて、まずは科学的な知見を少しだけ述べます。

(以下、引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/地球温暖化

地球表面の大気や海洋の平均温度は「地球の平均気温」あるいは「地上平均気温」と呼ばれ、地球全体の気候の変化を表す指標として用いられており、19世紀から始まった科学的な気温の観測をもとに統計が取られている。地球の平均気温は1906年から2005年の100年間で0.74℃(誤差は±0.18°C)上昇しており、長期的に上昇傾向にある事は「疑う余地が無い」と評価されている。上昇のペースは20世紀後半以降、加速する傾向が観測されている。これに起因すると見られる、海水面(海面水位)の上昇や気象の変化が観測され、生態系や人類の活動への悪影響が懸念されている。

(引用終わり)

この地球温暖化は、基本的には人間の産業活動により排出される温室化効果ガス(主にCO2とメタン)が原因であると考えられます。

したがって、地球温暖化を防止するためには、まずはCO2とメタンの排出を抑制しなければなりません。イギリス政府のために発表された「スターン報告」においては、もし温暖化を放置した場合、今世紀末に5~6℃の温暖化が発生し、「世界がGDPの約20%に相当する損失を被るリスクがある」とされています。

また、これは極端な見解かも知れませんが、ジェームズ・ラブロックという科学者は次のような見解を述べています。

(以下、引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・ラブロック

イギリスの新聞インデペンデントは2006年1月、ラブロックの談話として、地球温暖化の結果として21世紀末には「何十億もの人々が死に、気候的に耐えられる極地でごく少数が生き残るだろう」と書いた。
彼の主張によれば、21世紀末までに温帯の平均気温は 8°C、熱帯の平均気温は最高 5°C まで上昇し、世界のほとんどの土地が居住不可能となり、農業もできなくなる。「我々は、変化の恐ろしいペースに留意し、残された時間が少ないことを理解する必要がある。各国は可能な限り文明を保持するために資源の最良の使用法を見つけなければならない」と彼は言う。

(引用終わり)

もし、ラブロックの予想が正しければ(僕個人は、正しくないことを祈っていますが)、人類は地球温暖化により壊滅的な打撃を受けることになります。

いずれにせよ、我々は何としてでもCO2とメタンの排出を抑制しなければならないのです。

IPCC(気候変動に関する政府間パネル)の報告では、気候変動による深刻な影響を抑えるためには、「地球の平均気温の上昇を、産業革命の前と比べて「2℃未満」に抑える」ことが必要だと考えられています。

しかし、この「2℃未満に抑える」ことは容易ではありません。

「2℃目標」を達成するには日本は2050年までにCO2を80%削減する必要があります。単純に考えて、80%削減というのは可能なのでしょうか?それも日本だけでなく、世界中の先進国でそのような大幅な削減を行い、途上国もCO2排出の伸びを押さえる必要があります。普通に考えると、そんな事は「不可能」に思えます。

ちなみに、「スターン報告」で用いられたシミュレーションモデル「PAGE」はエネルギー技術モデルを含んでいないので、温暖化の対策コストが低めに出ると僕は想像しています(もし、僕のPAGEモデルに対する考えが間違っていれば、ご指摘下さい)。

したがって、温暖化防止のために我々が取れる道は2つしかないと思います。

ひとつは、我々の生活水準をかなり昔の水準に落とす事です(例えば、昭和初期の水準)。もうひとつは、「革新的な新エネルギー技術の開発」です。

僕個人の考えでは、生活水準を昔の水準に落とすことは「不可能」ではないかと考えています。

という事は、我々は「革新的な新エネルギー技術の開発」に賭けるしかないのではないか?という事になります。もちろん、これにはリスクがあり、その「革新的な新エネルギー技術の開発」に失敗すると、人類社会は壊滅的な打撃を受けてしまいます。

という事で、結論は「革新的な新エネルギー技術の開発を何としてでも成功させよ」という事になります。

では、どんな革新的エネルギー技術の開発があるのでしょうか?これについては、今後、僕がウェブ上で調べたり、その道の専門家に尋ねたりして調べて行こうと思いますので、僕のブログを読んで下さい。

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神は存在するのか?しないのか?

皆さんの多くは、「神なんて存在しない」と思っていると僕は想像する。

変な話だが、バハイ教徒である僕も、つい最近まで「神なんて存在しないのでは?」と思っていた。

また、「利己的な遺伝子」で有名なリチャード・ドーキンスもミリオンセラー「神は妄想である」の中で次のような意見を述べている。

(以下、引用 https://ja.wikipedia.org/wiki/神は妄想である

ドーキンスはこの本の中で、科学的精神こそが唯一真に普遍的且つ合理的なものだとする見解を開陳し、キリスト教を筆頭にあらゆる宗教はそれに反する邪悪且つ人類の進歩にとって有害なものであるとして、全ての宗教と神秘主義に批判的になることそして科学的に考えることが重要なのだ、と訴えている。
(中略)
批判の俎上に挙げられているのは、主に一神教、多神教を問わず超自然的な人格神および原理主義、宗教教育であり、各民族の文化的・文学的伝統や結婚、葬式などの儀礼、仏教や道教などの哲学的な側面までは否定していない。

(引用終わり)

しかし、良く考えて欲しい。科学的・論理的に「神は存在しない」ことを証明することは出来ないことを(神は人間が五感で感じる事は出来ないし、どんな分析器を使っても検出出来ないので)。

結局、どこまで科学的・論理的に考えても神が存在するか、しないないかは「分からない」としか言いようがない。

という事は、「神なんて存在しない」という考えも、ある種の「妄想」だということになる。しかし、どう論理的に考えても「神が存在するか、しないかは『分からない』」のに皆さんの多くは「神なんて存在しない」と考えてしまうのだろうか?

実は、この問題(神が存在するか、しないかは『分からない』」のに教育水準の高い現代人の多くが「神なんて存在しない」と考えてしまうこと)は現代文明におけるミステリーなのである。

しかし、神の存在を信じる人も同様な「妄想」に陥っている。つまり、どう哲学的・論理的に考えても「神が存在する」ことを証明することは出来ないのである。この難問に挑んだ哲学者カントは以下のような事を述べている。

(以下、引用 http://philosophy.hix05.com/Kant/kant115.god.html

(前略)
しかし、太古以来、人間は神の存在を信じて疑わなかった。それはそれで、敬意を表すべき態度であるが、しかし、世の中には、人間の思弁的な理性に基づいて神の存在を証明しようとしたがる人たちがいる。そういう人たちは、神という理想を人間の認識能力の枠の中に当てはめようとして、かえって神の尊厳を損なっているのである。そうカントは言って、神の存在を思弁的理性に基づいて証明しようとする試みを批判する。純粋理性批判の中でも、もっとも問題意識に富んだ部分である。
(中略)
このようにカントは、思弁的理性による神の存在証明の試みを、ことごとく退けるわけであるが、それは、神は認識の対象となりうるような客観的実在ではないということを主張したにすぎず、神の意義そのものまで否定したわけではない。カント自身は、神をめぐる崇高な理念に重大な意義を付与しているのみならず、神が実在する可能性についても、否定しているわけではないのである。しかし、その実在性は、我々の認識によってはとらえることができない。それは、我々の認識が現象にかかわることに留まり、物自体には及ばないのと同じことである。そうカントは言うわけである。
(後略)

(引用終わり)

つまり、神を信じる人たちがどこまで哲学的・論理的に考えても、神が存在するか、しないないかは「分からない」としか言いようがないのだ。

つまり、結論として、神が存在するか、しないないかは客観的に考えると「分からない」のであり、それを「存在しない」とか「存在する」と考える人たちは思考が偏っているのである(「妄想に陥っている」と言っても良い)。

しかし、この話には続きがあり、僕は「神が存在する」ことをある特殊な精神状態の中で「感じて」しまったのだ。
(この話の続きは、またいつか書きます。)

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