とあるバハイ教徒の日記:第二支部

神の存在証明と地球温暖化防止

パリ協定は地球温暖化を解決するか(2):山口光恒氏の見解

「パリ協定は地球温暖化を解決するか(1)⇒[記事へ]」では、パリ協定のCO2削減目標が非常に達成困難であることを説明した。


それでは、地球環境政策の専門家はパリ協定のCO2削減目標をどう捉えているのだろか?


本記事においては、日本国内の地球環境政策において影響力を持つ山口光恒氏(元慶応大学教授、地球環境産業技術研究機構参与)の見解を紹介する。


山口光恒氏がパリ協定を論じた論文は複数あるが、ここでは比較的理解しやすい「長期ゼロエミッション社会の構築に向けて(2016年)」http://eneken.ieej.or.jp/data/6794.pdf を読み解く。


論文は以下の4節より構成されている。


1. パリ協定の歴史的意義と持続可能性

2. 気候上昇限度目標(2℃目標)と気候感度

3. 2℃目標の達成と負のCO2排出の可能性

4. 新たな目標―長期CO2排出ゼロへの挑戦


以下においては、それぞれの節の内容を簡単に紹介する(文章を短くしたため、やや強引な文章の簡略があることをお断りしておく)。


第1節:パリ協定の歴史的意義と持続可能性

2015年12月にパリで開催された「気候変動枠組み条約第21回締約国会議」で合意されたパリ協定は、全ての国が自主的に自国の対策を約束(プレッジ)し、また先進国と途上国に分断されていた責任論を変質させたという点で歴史的意義を有するものである。さらに、今後5年ごとの見直しが制度化され、中長期的に削減目標をより強化する道筋が明確になった。

 持続可能性という観点では、気温上昇が2℃を十分下回るところにどとめること、および公平性原則に基づきかつ持続可能な発展と貧困克服の文脈で、温室効果ガスを正味ゼロ排出にすることで合意した。

 しかし、多くの研究は、現段階での各国の約束では到底今世紀中に2℃目標は達成できないと指摘している。


第2節:気候上昇限度目標(2℃目標)と気候感度

経済活動とCO2排出及びその濃度はある程度比例の関係にあるが、濃度と気温上昇の間には極めて大きな不確実性がある。こうした中で気温上昇限度目標を決めることは、それを達成する濃度に大きな幅があるということである。

 IPCC第5次報告書では、気候感度(CO2濃度が2倍に達したときの気温上昇の程度を表す指標)を3℃と仮定し、CO2等価濃度450ppmをほぼ2℃目標に対応する濃度としているが、このCO2等価濃度は気候感度の仮定によって変わる。気候感度3℃を前提に気温上昇限度目標を掲げて国際交渉が進み各種対策が議論されるのは脆弱な基盤に基づく意思決定といわざるを得ない。対策と同時並行的に進めるべきは気候感度の不確実性を縮小するための科学的検討である。


第3節:2℃目標の達成と負のCO2排出の可能性

IPCCの仮定の通り気候感度が3℃として、2℃目標が達成出来るかを考える。2℃目標を達成させるためには、2060年から2080年の間に排出をマイナスにし、2100年には世界で10ギガトンあるいはそれを超える負の排出が必要となる。

 負の排出の実現には色々な方法が提出されている(バイオ燃料を使用しその際排出するCO2を捕捉・貯留する等)が、それらには大規模な土地を必要とする等、問題点がある。また、2℃目標を達成するコストとそれにより回避させる損害(便益)の関係も不明確である。

 こうした点を総合すると2100年まで大幅な負のCO2排出の実現は極めて困難といわざるを得ない。更に突き詰めるとなぜ2℃目標化であるかについての明確な根拠もない。


第4節:新たな目標―長期CO2排出ゼロへの挑戦

上述の通り、2℃目標は2100年までに大幅な負のCO2排出が必要なため実現困難であるが、長期的にはCO2排出をゼロにしない限り気温上昇は続く。

 「長期CO2排出ゼロ」、これが2℃目標に替わる目標となる。パリ協定との相違は、2℃目標という絶対値での縛り、それに2100年までという時間の縛りを外すことである。なお、負の排出はあまりにも制約が大きいので前提としない。

<以上で山口論文のまとめは終わり>


山口光恒氏のパリ協定に対する見解を簡単にすると:


(1) パリ協定の「工業化以降の気温上昇を2℃以下にする」という目標は実現困難である(2100年までに大幅な負のCO2排出を必要とするため)


(2) 「長期CO2排出ゼロ」が2℃目標に替わる目標となる


ということになる。


では、この「長期CO2排出ゼロ」という目標に問題はないのだろうか?


これについては、そもそも「長期CO2排出ゼロ」がなぜ目標になり得るかも含め、日を改めて日記を書こうと思う。


(以上で今回の日記は完了とします。書くのに2週間もかかりました。)



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新型原子炉AP1000について:その3:世界初、中国で建設工事が最終段階へ

(この記事は「新型原子炉AP1000について:その1⇒[記事へ]」、「新型原子炉AP1000について:その2:東芝の経営危機問題⇒[記事へ]」の続きです。)

新型原子炉AP1000を巡っては、アメリカにおける建設遅れによる巨額損失で東芝が経営危機に直面している問題(更には、半導体部門を売却する問題)ばかりが報道され、中国での建設状態のニュースが伝わって来ていない。

しかし、AP1000の中国における建設工事は着々と進んでおり、世界初になる三門原子力発電所1号機の建設で燃料装荷前の包括的安全検査が成功裏に完了した。

ニュースソースはサイト:
http://www.fepc.or.jp/library/kaigai/kaigai_topics/1256666_4115.html
にある。

概要を以下に示す。

(以下引用、上記サイトより)
[中国] 世界初のAP1000、中国で建設工事が最終段階へ  2017年8月7日

中国で第3世代原子炉技術の習得・国産化を担当する国家核電技術公司(SNPTC)は7月24日、ウェスチングハウス(WH)社製の次世代型PWR設計「AP1000」を採用した三門原子力発電所1号機(125万kW)の建設工事で、燃料装荷前の包括的安全検査が21日に成功裏に完了したと発表した。

環境保護部副大臣や国家核安全局(NNSA)局長を始めとする検査チームが17日から同発電所を訪れ、1号機の土木建築工事や機器の据え付け、起動その他のプロセスなどを全面的に検査。

建設工事と燃料装荷前段階における品質保証作業は概ね有効であり、安全関係の活動も管理された状態にあると結論付けた。

(中略)

Ⅰ期工事にあたる1、2号機はそれぞれ、2009年4月と12月に本格着工しており、どちらも世界初のAP1000として2018年に営業運転を開始できると見られている。
(後略)

【情報提供:一般社団法人 日本原子力産業協会】
(引用終了)

中国におけるAP1000建設がアメリカでのそれよりも早く進むのは、中国が共産党一党独裁国家であり、アメリカのように周辺住民への気配りが少なくても良いなどの条件もあるだろう。しかし、何はともあれ中国でAP1000が問題なく稼働すればアメリカでの工事も進んで東芝の経営破綻は回避されるかもしれない。

なお、本ブログ主・都雄次は本来なら原発は無い方が良いと考えている。しかし、トリウム炉などの新技術が開発されるまでの間は原発は必要悪であり、我々はNo choiceの問題に直面してしまっているのである(自然エネルギーは現時点では供給量に限界があり、また供給が不安定である)。

したがって、新型炉AP1000の安全性がいかに高いと言っても、事故の可能性を0%をするのは不可能であり、我々は放射能の恐怖と共存しなければならない。放射能の恐怖から逃れるには加速器駆動未臨界炉や核融合、高効率の太陽光発電等が登場するのを待つしかなく、それには50~100年(もしかするとそれ以上)の時間が必要である。

大量生産・大量消費とGDP成長を前提とする近代社会が地球温暖化と原子力依存の構造を作り出している事を考えると、我々は近代社会そのものを疑う必要があるのではないだろうか?

僕個人は今、人類には何らかの覚醒が必要であると考えている。その覚醒がどのようなものであるのかが問題であるのだが・・(僕が読む限りでは、エックハルト・トールの「ニューアース」もその部分については明確には書いていない)。

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パリ協定は地球温暖化を解決するか(1)

パリ協定は、第21回気候変動枠組条約締約国会議(COP21)が開催されたパリにおいて、2015年12月12日に採択された、気候変動抑制に関する多国間の国際的な協定である。

気候変動抑制に関する多国間の協定は、1997年に採択された京都議定書に続いて2つ目の協定であるが、京都議定書が先進国の間だけの協定であったのに対し、パリ協定は途上国も含めほぼ全世界の国々が参加する協定であることに違いがある。

パリ協定の内容は、『産業革命前からの世界の平均気温上昇を「2度未満」に抑え、さらに平均気温上昇「1.5度未満」を目指す』というものである。

実際、2度以上の気温上昇が生じれば生物種の大量絶滅などが起こると予想されており、「平均気温上昇2度未満」は人類が選択せざるを得ない目標値である。

問題は、各国がどのようにCO2を削減するかであるが、京都議定書が1990年比の削減量で統一し、削減量未達成の場合に罰則規定が存在するのに比べ、パリ協定では各国の目標は各国自らが定める「各国提案方式」がとられており、また削減量未達成時の罰則規定も無い。

以下に各国の目標値を示す。

<先進国>
米国: 2025年に-26%~-28%(2005年比)。28%削減に向けて最大限取り組む。
EU:  2030年に少なくとも-40%(1990年比)
ロシア:2030年に-25~-30%(1990年比)が長期目標となり得る
日本: 2030年度に2013年度比-26.0%(2005年度比-25.4%)
カナダ:2030年に-30%(2005年比)
オーストラリア: 2030年までに-26~28%(2005年比)
スイス: 2030年に-50%(1990年比)
ノルウェー:2030年に少なくとも-40%(1990年比)
ニュージーランド:2030年に-30%(2005年比)

<途上国>
中国: 2030年までにGDP当たりCO2排出量-60~-65%(2005年比) 。2030年前後にCO2排出量のピーク
インド: 2030年までにGDP当たり排出量-33~-35%(2005年比)。
インドネシア: 2030年までに-29%(BAU比)
ブラジル: 2025年までに-37%(2005年比) (2030年までに-43%(2005年比))
韓国: 2030年までに-37%(BAU比)
南アフリカ: 2020年から2025年にピークを迎え、10年程度横ばいの後、減少に向かう排出経路を辿る。2025年及び2030年に398~614百万トン(CO2換算)(参考:2010年排出量は487百万トン(IEA推計))

これらの削減目標を見ると、途上国の削減目標が甘いことが分かる(例えば、中国やインドのGDP当たりCO2排出量は先進国より遥かに大きい)。これは経済発展が優先されているからであり、CO2削減は二の次であるからである。

上記における各国の削減目標値は2030年が概ね目標年になっているが、これらの削減目標が達成出来たとして、『産業革命前からの世界の平均気温上昇を「2度未満」に抑え、さらに平均気温上昇「1.5度未満」を目指す』ことは可能なのだろうか?

これについては、過去に一度引用した経団連系のシンクタンク「21世紀政策研究所」の報告書から少しは読み取ることが出来る。

(以下、引用 http://www.21ppi.org/pdf/thesis/160311.pdf

(p.10) 2050 年 80%減のマグニチュードを考えてみよう。2030 年の 26%目標を達成するためには、現在から温室効果ガス排出量を年率 1.6%で削減しなければならない。そこから 2050年に 90 年比 8 割減を達成するためには 2030 年~2050 年に年率 7%近い排出削減が必要となる。2030 年目標は省エネ、原子力、再エネいずれの面でも非常にハードルの高いものであるが、一挙にその 4 倍以上のスピードで排出削減をせねばならないのである。2013 年度を基準年としても、2030 年度から 2050 年度にかけては、年率▲6.50%削減が必要となる。

(引用終わり)

このように、2030年~2050年では日本だけで考えてみても常識では考えられないような大きなCO2削減が必要とされるのである
(なお、2050年度に80%減という目標値は主要先進国で支持されている値であり、日本でも環境省はこれを支持している)。

正直なところ、日本が目標値と掲げる2030年における2013年度比-26.0%削減というのは厳しい値であるし、2030年~2050年に年率6.5%削減というのは常識的に見て無理である。

しかも、日本だけでなく世界中の国々がこのような厳しいCO2排出削減をするというのは夢物語ではないだろうか?

しかし、そうした夢物語のような厳しいCO2排出削減をしなければ、地球は壊滅的なダメージを受けてしまうのである。

この矛盾は解決されるのか、あるいは解決されずに地球が壊滅的なダメージを受けるのかについては、また日を改めて考察してみたい。

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新型原子炉AP1000について:その2:東芝の経営危機問題

新型原子炉AP1000について、少し動きが出たので書いてみる。

なぜ、原子力(それもトリウム炉ではない)に僕が注目しているかというと、2030年以前におけるCO2削減は原子力か天然ガスくらいしかオプションがないからだ(太陽光や風力もあるのだが、エネルギー供給量と供給の安定性に問題がある)。

ウェスチングハウス社のAP1000は、静的安定性という設計概念により電源喪失時にもメルトダウンを起こさないとされているのも僕がこの原子炉に注目する理由である(あくまでも設計上安全とされているだけで、運用時にも本当に安全かどうかは分からないが)。

なお、東芝によるAP1000についての解説は https://www.toshiba.co.jp/nuclearenergy/kangaeru/iec-pa7.htm にある(解説動画もある)。

この新型炉についての動向は既に、http://yujimiyako.blog.fc2.com/blog-entry-14.html にまとめた。

「新型原子炉AP1000について:その1」にまとめた東芝の経営危機については、まだ継続している。

最新のニュースでは、東芝は上場廃止の恐れもあるとされている。この経営危機の全ての原因はAP1000の建設の遅れによる巨額損失にある。

東芝は半導体事業を「東芝メモリ」という子会社にして、それを売却することによる利益により、この巨額損失を埋め合わせる方針を立てていた。

しかし、この「子会社化→売却」という東芝の方針に米ウエスタンデジタル社が反発して「東芝による分社化・売却は契約違反である」と主張し、株式取得に向けて独占交渉権を要求した。

そのウエスタンデジタル社の主張に対し、東芝は「ウエスタンデジタル社が妨害行為をしている」としているとして、妨害行為差し止めの仮処分と1200億円の損害賠償を求め、東京地裁に提訴した。

このように、東芝の半導体事業売却は混沌としており、どういう結末になるか全く先が読めない。

なお、東芝が今年5月19日に実施した2次入札には、政府系ファンドの産業革新機構を軸とする「日米連合」・台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業・米半導体大手ブロードコム・韓国の半導体大手SKハイニックスの4陣営が応札している。

そして、仮に半導体事業の売却が上手く行き、AP1000の建設の遅れによる巨額損失を何とか埋め合わせられたとしても、その後にAP1000建設でさらに巨大損失が出る可能性もありうる。そうなれば、東芝は倒産するしかなくなるだろう。

噂では国民的アニメ「サザエさん」の番組スポンサーから東芝が降りるのでは?という話もあったが、最近のニュースでは東芝はサザエさんのスポンサーは続ける予定であるという。

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以上では、AP1000を設計したウェスチングハウス社の親会社である東芝の動向を説明したが、次にAP1000建設の動向について書いてみる。

東芝は本年6月10日、ウェスチングハウス社が建設中のAP1000原発ボーグル3・4号機建設計画に関する親会社保証について、サザン電力に対し、3,680百万米ドル(4129億円)を2017年10月から2021年1月までの間に分割して支払うことで合意書を締結した。

2008年にウェスチングハウス社が2基のAP1000原子炉建設プロジェクトを受注した際、親会社保証契約を締結したが、今回、保証上限の金額とその支払いスケジュールについて合意した、という経緯である。

この合意に伴い、プロジェクトコストの増加等の如何なる事情を問わず、保証上限額以外の建設プロジェクト関連費用は東芝に請求されない。

また、ウェスチングハウス社とサザン電力は契約を改定した。ウェスチングハウス社は原子炉AP1000の技術提供・支援に回り、原発建設はサザン電力が引き継ぐことになった。当面は工事を続行するが、そのまま完成を目指すか断念するかは今夏中にも決定する(つまり、開発中止の可能性もあるということである)。

以上で説明したボーグル3・4号機は米国で建設中の4機のAP1000うち2機についての合意と契約改定であり、他の2機については、現在、交渉を行っている途中である。残り2機の交渉結果によっては東芝に更なる追加負担が生じる可能性もある。

いずれにせよ、原子炉の開発・建設には大きなリスクがあることがこのAP1000の事例から分かる。

当初の予定ではボーグル3・4号機は2017年・2018年は送電開始の予定だった。その予定が、現在では建設中止の可能性もあるという状況なのである。

これ以上、建設の遅れが長引けば東芝は倒産する可能性が出て来るだろう。そして、CO2を排出しないエネルギー技術としての原子力発電にも疑問符が付くことになるだろう。

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「我思う」を巡るデカルト vs エックハルト・トールの議論は決着していない

ここ一週間ほど、ブログの更新が滞っていた。

その理由は色々あるが(単に忙しかった等も含め)、大きな理由はブログの更新を日課にすると、内容が薄まったり、ついつい安易な結論に陥ることだ(例えば、引き寄せの法則を量子力学で説明するなど)。

これは僕の本意ではない。僕はバハイ教徒である(ついうっかり、それを忘れてしまう事がある)。

僕は真理を探求したいのだ。

ただ記事を量産するばかりでは真理の探求からどんどん離れて行ってしまう。これでは、このブログの存在価値がなくなってしまう。

以上を教訓として、僕はブログの更新頻度を落としつつ、一歩一歩、牛歩のごとく真理の探究をして行きたいと考えている。

さて、今回僕が問題にしたい真理の探求は、「我思う、ゆえに我あり」を巡るデカルトとエックハルトトールの主張のどちらが正しいか、というテーマである。

僕は過去の日記で単純に時代の新しいエックハルト・トールの主張を正しいと書いて来た。

しかし、時代が後の者の言うことは常に正しいのだろうか?

デカルトは慣性の法則や運動量保存則などの物理学、さらに数学でも近代学問の基礎を築いた、歴史上の大人物である。それに比べ、エックハルト・トールは歴史に残る可能性の少ない一介のスピリチュアリストに過ぎない。

デカルトの「我思う、ゆえに我あり」という命題は、欠陥はあるものの、「我思う」を哲学の出発点とした点は、哲学史上における大業績であり、易々と崩せるものではない。

これに対し、エックハルト・トールは「自分が考えていることに気づいたとき、気づいている意識はその思考の一部ではなく、別の次元の意識だ」と主張する。

両者の違いはどこにあるのだろうか?

まず、「思う(考えている)」ことについては、デカルトもエックハルト・トールも違いはない。

問題は、「思う」意識にある。

「思う」意識について、デカルトは単純に「我」という意識が思うのだと考える。

それに対し、エックハルト・トールは「思う(思考する)」意識とは別に、その「思考」に気づく意識が存在すると主張する(サルトルもそう主張する)。

その根拠は、エックハルト・トールによれば、以下のような内容である。

(以下、引用 エックハルト・トール「ニュー・アース」p.64 )
あなたのなかに思考しかなければ、思考しているなんてことはわからないだろう。

自分が夢を見ているのに気づかない夢中歩行者のようなものだ。

夢を見ている人が夢のなかのすべてのイメージに自分を同一化するように、すべての思考に自分を同一化する。

多くの人々はいまもそんな夢中歩行者のように生き、古い機能不全の心の癖に囚われ、同じ悪夢のような現実をいつまでも再創造し続けている。

しかし自分が夢を見ていると気づけば、夢のなかで目覚める。

別の次元の意識が入り込む。
(引用終了)

エックハルト・トールは上記引用文の「夢を見ている」と気づく場合(明晰夢と呼ばれる)を我々の普段の思考に当てはめて、「思考している」と自分が気付く時は、その思考とは別の次元の意識が「我あり」と言うと主張する。

このように「我あり」と言う意識は考えている意識そのものか(デカルトの主張)、「我あり」と言う意識は考えている意識とは別の次元の意識なのか(エックハルト・トールの主張)、という点が、デカルトとエックハルト・トールの主張に違いになる。

この「我あり」という意識を巡ってはデカルトとエックハルト・トールの主張のどちらが正しいか、学問的にはまだ決着が付いてないようだ。

ウェブ上の情報を調べた限りでは、専門家は誰もこの問題に言及していないし、この問題を取り上げたアマチュアのブログ等でもこの問題を深く掘り下げた記事は見つからなかった。

僕も自分なりに考えてみたのだが、デカルトとエックハルト・トールのどちらが正しいか、分からないままである(「我思う、ゆえに我あり」という命題に欠陥があることは別の問題として)。

この問題を解くには、何か新しい切り口が必要だと思う(例えば、「クオリア」という切り口から考えるなど)。

僕はこの問題を考え続けるつもりなので、何かこの問題に対して新しい知見が得られれば、このブログ上で紹介して行きたい。

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